ふらんす紀行

 パリを語るとき、人はまずセーヌ川について語ることになるだろう。紀元前の昔から、セーヌの流れは人々の営みを護り、育んできた。ある時は愛を誓いあう二人を水面に映し、ある時は過ぎ去った恋を流れにさらう。
L'amour s'en va comme cette eau courante
恋はすぎる この流れる水のように
きっと今でもアポリネールのように河岸に佇む若者がいるに違いない。
 歴史の本を繙くと紀元前3世紀頃からケルト民族の一部族がセーヌ川のシテ島に住み始めたという。そしてガリア平定の為この地に赴いたカエサルが彼らをパリシイと呼び、それがParisの語源となったのである。つまりセーヌ川・シテ島はパリ発祥の地であり、ひいては西欧文明発祥の一拠点ともいえる。イギリス人の美術評論家ケネス・クラークはルーブル美術館に向かうポン・デ・ザール(Pont des Arts)の上から次のように述懐する。
「どんなに多くの旅行者がこの橋の上に佇み、古い文化の薫りを胸一杯に吸い込んで、文明のまさしく中心点に達した自分というものを感じたことだろう」おそらくパリに行ったことのある人なら誰もがこの想いに共感を覚えるだろう。
 パリ市の紋章はセーヌ川に帆船が浮かんでいる図柄で、「たゆたえども沈まず」という銘句を伴っている。帆船はパリ発祥の地シテ島を表しているが、まさにヨーロッパ激動の歴史を生き抜いてきたに相応しい。
 そのセーヌ川・シテ島の辺りを1区としてパリの町は区画されている。右回りの渦巻き状に20区まである。全体の大きさは東西に11q、南北に8q、よく使われる例えだが、山手線の内側くらいの広さでしかない。しかし勿論、その中にあるものは東京の比ではない。誰もが一度は映像や写真で見て、そしていつか訪れることを夢見た街、それがパリである。
 その見所はあまりに多すぎて、ここにすべてを記すことは到底出来ない。美術館を例にとってみても、その数パリには大小合わせて100に上るという。ルーヴルやオルセーは勿論、瀟洒な住宅街にひっそりと佇む小さな美術館にも確かな主張を持ったexpositionが我々を待っている。それらをすべて見て回ろうと思ったら、たとえ2〜3ヶ月滞在しても無理だろう。その意味では、パリは旅する街というよりも、住む町といえるかもしれない。